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秋田地方裁判所大館支部 昭和41年(わ)89号 判決 1967年7月29日

主文

被告人は無罪。

理由

第一、公訴事実

被告人は、昭和三七年四月二日○○市○○○字○○○番地大工野沢原成と婚姻し、以来同人方において義父母、夫らと同居し、主として洋裁の内職をしていたものであるが、義母コトとの間の折合が悪く、婚姻後間もなくコトから「原成が看護婦を嫁にすることは九分通り決っていた。看護婦は収入が多いし残念なことをした。」などといやみを言われたり、「働きが悪い、育児の仕方がまずい、近隣との交際のやり方がよくない。」などと何回も叱責されたばかりでなく、流産し通院した時、「金ばかりかけても何にもならない。」と文句を言われた外、内職の金をごまかすと疑われたことなどからコトと対立し、喧嘩、口論をしてコトを恨み、再三実家に帰り、時には内心自殺をしようと考える反面、コトがいなければどんなに気楽に過せるかなどと思い、憤まんの情やるかたなく悶々の日を送っているうち、昭和四一年八月四日夜コトからおにぎりを三個作ってくれと申しつけられ、翌五日午前六時三〇分ごろ自宅台所でおにぎり三個を作ったが、その際日頃のうっ憤をはらすため猫いらずをおにぎりの中に入れてコトに食べさせようと決意し、猫いらずは有毒物であるからそのおにぎりをコトに食べさせれば同人が死亡するかも知れないことを認識しながら敢えて一個のおにぎりを包んだ海苔に約一グラムの猫いらずを塗布し、コトをしてそのおにぎりを携帯させ汽車で秋田市に向け出発させたが、同日正午頃、国鉄奥羽線下川沿駅附近を進行中の車中でコトがそのおにぎりを食べようとした時異臭に気づき、おにぎりを食べず外に投げ捨てたため殺害の目的を遂げなかったものである。

第二、当裁判所の判断

一、≪証拠省略≫を総合すると、本件公訴事実に関し次の各事実を認めることができる。

(一)  被告人は昭和三七年四月二日ごろ○○市○○○字○○○番地大工野沢原成と見合結婚し、以来同所において夫原成、舅山三郎、姑コトらと同居し、家事のかたわら洋裁の内職をしていたが、同年秋ごろから姑コトとの折合が悪くなり苦慮していた。即ちコトは何事も直さいにものを言って、自己の主張を押し通そうとし、被告人に対し折にふれ、「他部落の看護婦を原成の嫁にすることになっていたのに残念だった」などと嫌味を言ったり、被告人が昭和三八年夏ごろ流産して病院通いをした際、「なんぼ医者に通って金をかけても何にもならない」などとぐちをこぼし、その他被告人の外出に再三小言を言ったうえ、昭和四〇年一〇月ごろからは前記内職の収入の記帳に関しやかましく口を出すようになったが、他方被告人は無口で内気のようにみえる反面、強情なところがあって、右コトの言動に対し当初はつとめて控え目にしてがまんしていたが、徐々にコトに対し口答をしたりして反感を表わすようになり、同年一一月頃までは、時には実家へ帰って戻らないこともあった。

(二)  右のように被告人は姑コトとの不和が原因で不愉快な毎日を送っていたが、昭和四一年四月一八日ごろ、長女木美子の病気の治療のため○○市の病院に赴いた際、将来コトとの不和が昂じて自殺する場合に使えると思い同市内の薬局で二〇グラム入猫いらずのチューブ一本を購入して持帰ったが、約一〇日後これを全部チューブから搾出して木箱にあけてみたところ、異臭と煙霧に気づき、そのまま自宅二階の道具置場に放置しておいた。

(三)  昭和四一年八月五日コトは秋田市の灯祭の見物に出かけたが、前夜即ち八月四日午後八時ごろ被告人に対し翌日の昼食用に握飯三個を作るように言いつけた。被告人はコトの右言いつけに従い、翌八月五日午前六時三〇分ごろ自宅居間(兼台所)においてコトのため握飯三個を握ったが、その際握飯にまく海苔を取りに二階道具置場に赴いたところ、たまたま同所に放置されていた前記猫いらずが眼にとまったため、その頃姑との間に直接葛藤の原因となる事情はなかったが、突差にこれを握飯につけてコトに対する日ごろの腹いせをしようと決心し、その場に有合わせた物干用ビニール製の管(昭和四一年押第三八号の二)の先に少量(約〇、二一グラム)の猫いらずをすくい取り、海苔と共にこれを携えて階下に下り、前記居間において右三個のうち一個の握飯にまいた海苔の上に塗りつけ、その上にさらに三センチ四方位の海苔の小片をはりつけた。

(四)  コトは同日午前一〇時ごろ、右握飯三個を持って自宅を出、国鉄大滝温泉駅を同一一時ごろ発の臨時列車で秋田市に向け出発したが、右列車が同日正午ごち国鉄下川沿駅附近を進行中、車内で右握飯の一個を食べ終り、続いて二個目の一口を口にした際異臭を感じたがそのまま飲み下し、二口目に同様の異臭を感じたのでこれを口から出し、さらに残りを割ってみたところ、異臭とともに煙霧が立ったので異物の混入をみとめてこれを車外に投げ捨てた。

(五)  コトは同日夕秋田市に到着し、灯祭を見物し、その日の夜行列車に乗り、翌八月六日午前五時ごろ帰宅したが、旅行中及びその後も身体に何の異常もなかった。

二、ところで被告人は当公判廷において、本件公訴事実に関し、右認定の各事実は認めたが、コトに対する殺意の点については、「においがするし、煙がたつから食べないと思った」「いやがらせにびつくりさせようとしてやった」「猫いらずの量が少ないから死なないと思った」「サトが死んでもかまわないとは思わなかった」「万一たべても下痢する程度だと思った」等と述べ、殺人の確定的故意は勿論、未必的故意をも否認しているので、以下、証拠にもとづき、はたして被告人に未必的にしろコト殺害の故意があったか否かにつき検討する。

三、まず被告人は捜査の当初から当公判廷に至るまでコト殺害の確定的故意については一貫して否認しているところであり、本件すべての証拠によるも、右確定的故意を認めることはできない。

四、しかして本件公訴事実によれば、被告人は前記猫いらずを握飯に塗布した際、コト殺害につき未必的故意があったというのであるが、前記認定のごとく被告人は姑コトと日ごろから不仲であったうえ、被告人が握飯に塗布した猫いらずは有毒物であることが公知の事実であること、しかも後述のごとく被告人の捜査官に対する各供述調書にはコトに対する未必の殺意を肯定したかの如き記載があることにてらすと被告人は本件握飯を作った際、コトを殺害することにつき少くとも未必の故意を有したのではないかとの一応の疑が生ずることは否めない。

五、しかしながら他方本件各証拠を仔細に検討すると被告人の当公判廷における前記各供述を首肯させるべき事情が存在しないわけではない。

即ち被告人は当公判廷において握飯に塗布した猫いらずが少量であることを一つの根拠としてコトに対する未必の殺意を否認していること前記のとおりであるが、まず前記≪証拠省略≫によると猫いらずは毒物たる黄燐八%を含有する殺そ剤であり、黄燐の人体に対する致死量は成人につき〇、一ないし〇、五グラムであることが認められるところ、前掲鑑定書によれば本件握飯に含有されていた黄燐の重量は約〇、〇一七グラム(従って猫いらずの量は約〇、二一グラム)であって前記人体に対する致死量の約六分の一ないし三〇分の一であることが明らかである。

そして被告人は、前記認定のごとく本件猫いらずを直径約三ミリのビニール製の管(昭和四一年押第三八号の二)の先端にすくいとり、これをコトに持たせた三個の握飯のうちの一個に、しかもその約三センチ四方の部分に塗布したのであって、≪証拠省略≫によれば、被告人は右塗布した猫いらずの量につき、取調に当った警察官及び検察官に対し、「自分の小指の爪の半分或いは三分の一位」とのべており、またこれに関連して右各供述調書には当公判廷における供述と同様の「余り量が多くないから死なないかも知れないとも思った」「あの程度なら腹を痛くして一緒に行った人達に迷惑をかける程度かも知れない」旨の供述記載がある。これらの事実を総合すると被告人が本件握飯に猫いらずを塗布した際、塗布した猫いらずがごく少量であると認識したことは十分推認できるところである。

この点に関し検察官は、「量の多少は相対的概念であるから被告人が致死量の認識を欠きながら使用した猫いらずの量が少いことを理由に殺意を否認するのは不合理である」と主張する。

被告人が黄燐ないしは猫いらずの人体に対する正確な致死量の認識を欠いていたことは本件各証拠にてらし明らかである。しかしながら一般に猫いらずが有毒物であると言っても同じく毒物である青酸カリが、ごく微量で人を死に至らしめ、現実にもしばしば自他殺の手段に用いられるのが一般人の認識であるのに対し、猫いらずはその名のとおり殺そ剤であることが何人にも明瞭であり、その毒性についての一般の認識が青酸カリほど強度のものであるということはできない。さらに前記≪証拠省略≫によれば生卵が猫いらずの解毒剤の一つであることが認められるところ、被告人は逮捕当時から捜査官に対し「猫いらずを購入した当時チューブの巻紙をみたら万一人が猫いらずを口にした場合生卵をのんで医師の応急手当を受けるべきことが書いてあった」旨供述しており、また被告人が本件において使用したのと同種のものと認められるチューブ入猫いらず(昭和四一年押第三八号の四)の外箱及び効能書には、猫いらずの用法として、「甘諸などの餌に小豆粒大に塗りつけること」等とあり、また「人蓄がたべても中毒はするが、悪臭の故に食物と間違うおそれはない、もし皮膚についても水で洗えば無害である、万一のんだ場合には医師の手当を受ける前に応急処置としてオキシフルをのんではくこと」等の記載があり、これらの事実と≪証拠省略≫を総合して考えると、被告人は本件握飯に猫いらずを塗布した際、少くとも、猫いらずの毒性が、その量如何にかかわらず人命に影響するとの認識はなかったものと思われ、被告人が自己の使用した「小指の爪の先半分ないしは三分の一程度」の猫いらずを少量と認識し、この程度ではコトが下痢を起すぐらいで死なないと思ったと弁解することはむしろ自然であって首肯できないわけではなく、検察官のいうごとく、被告人が致死量の認識を欠いた一事をもって被告人の殺意を推認することはいささか形式論理を追いすぎたものといわざるを得ない。

のみならず前掲の証拠によれば、被告人が本件握飯に猫いらずを塗布した際、すぐかたわらに舅豊三郎が坐って食事をしていたこと、被告人は当日コトを送り出した後平常どおり家事等をして一日を過し、翌朝コトが帰宅した際も平常と何ら変らぬ態度でコトを迎え入れていること等の事実が認められ、これらの事実は未必的にしろコトを殺害しようとした者の態度としては不自然であって、殺意を否認する被告人の右弁解を裏づけるものというべきである。また被告人が握飯に猫いらずを塗布した後、前記木箱とビニール管を廃棄したことは、被告人が猫いらずを塗布したことの間接証拠たりえても、その際被告人が殺意を有していたことを推認させるものでないことはいうまでもない。

六、ところで故意は行為者の内心の問題であるから、この点に関する本人即ち被告人自身の供述が直接証拠として重要な意味をもつのは当然である。

そして被告人の捜査官に対する供述調書には一見コトに対する未必的殺意を認めたかのごとき記載が多々あるので、次にこれらの供述調書及び供述部分の真実性ないしは信用性について判断する。

(一)  被告人の司法警察員に対する供述調書について

昭和四一年八月一〇日付調書には

「そんな具合で私はとうとう姑の食べるにぎり飯にネコイラズを入れてしまいましたが、それというのも日頃から姑を憎いと思っていたからだし、腹いせのためやってしまったことです。私はネコイラズがネズミを殺すための毒薬であることをよく知っているし、人体にも毒であることをよく知っていますが、どの位の量で人が死ぬか、どの位の量で腹を痛めたりするかとかいうことは殆んど判りません。私としては姑を殺してやろうとまでは考えておらず、腹立ちまぎれに日頃の仕返しをしてやろうという気持でにぎり飯にネコイラズを入れたのですが、ネコイラズは毒なので内心では若しも姑がネコイラズを食べたら死ぬかも知れないなとも思ったし、一方では、どの位ネコイラズを食えば死ぬか判らないが、余り量が多くないから死ぬことはないかも知れないな、とも思ったし、あの程度なら腹を痛くして一緒に行った人達に迷惑をかける程度かも知れない、とも思ったりしてネコイラズを入れてしまってからあとのことが気にかかりました。でも私はネコイラズを入れるときは後々のことまではよく考えていなかったし、とにかく仕返しをしてやろうという気持がいっぱいでした。

私は姑を殺そうとしてネコイラズを入れたのではないにしても、ネコイラズは非常な毒物だと判ってそれをにぎり飯に入れたのだし、内心では或いは姑が死ぬかも知れない、それでもかまわないと思ってわざとネコイラズを入れたのですし、私のやったことは姑を殺そうとしてやったことと同じ結果だと反省しています。」

同年同月一一日付調書二通には、それぞれ、

「八月五日の朝、姑のにぎり飯にネコイラズを入れる時の気持は昨日も話したように、日頃の腹いせにいじめられている仕返しに入れてやろう、という気持であったことは確かですが、姑を殺してやろう、とまで考えてやったのではありません。でもネコイラズを入れるんだし私はネコイラズが猛毒だと知っているがどの程度の量でどうなるか判らないのでこれを入れたら或いは姑が死ぬようなことがあるかも知れない、でもかまわない、とも思ってやったことは確かですし、私のやったことは非常に危険なことだと判ります。」

「私が姑のにぎり飯にネコイラズを入れたということは殺してやるという気がなかったといってもそれ自体が非常に危険なことだと判っていたし、私の行いは正しいことでないと判っていますがこれまで色々とお話したような訳であんなことをしてしまったのです。私は自分のしたことが間違っていると反省しているし、……」

同年同月一二日付調書には、

「私はにぎり飯にネコイラズを入れるとき姑を殺してやろうとまで強く考えておりませんでしたし、ネコイラズを見て、とっさに姑のにぎり飯にネコイラズを入れる気になったのですが、殺そうというまでの気はないにしても、まかり間違えば姑が死ぬかも知れない、とも思ったし、一方では、この位なら或いは腹を痛くしたりして一緒に行った人達に迷惑をかける程度で済むかも知れない、と思って姑が死ぬということを割合に軽くしかみておりませんでした。それにしても毒薬であるネコイラズを姑のにぎり飯に入れるのだし、程度、度合はどうでも死ぬことがあるかも知れないと心の中で思ったことは確かですし、私のやったことは明らかに悪いことと判りながらわざとやってしまいました。」

との各記載がある。

しかして右各供述には「姑が死ぬかも知れないと思ったし、それでもかまわないと思った」という部分があって、この部分のみに着目すると被告人には本件猫いらず塗布の際にコトの死の結果の蓋然性を表象し、これを認容したことを認めうるかのごとくである。

しかし右各供述調書には右に引用した部分にも含まれる外随所に「腹いせにやった」「日頃いじめられた仕返しにやった」旨の供述がみられ、被告人がすでに猫いらずが異臭及び煙霧を生ずることを認識していた事実と考え合わせると、これらの供述は単なるいやがらせを思わせるばかりでなく、前記未必の殺意を肯定した供述部分に先立ち或いはその導入部として「ネコイラズは毒であるから」或いは「ネコイラズは毒だと判って入れたのだし」等の論理的評価ないしは説明が附加され、また右供述部分の後には何ら段落をおくことなく「私のやったことは姑を殺そうとしてやったことと同じ結果だと反省しています」「私のやったことは非常に危険なことだと判ります」「私のやったことは間違っていると反省している……」など、現在における反省の心境がつづられている。そして前記引用した各供述部分は総じて抽象的であり、「ネコイラズ」なる名詞が薬物である猫いらず一般を指称するのか、或いは被告人が本件握飯に塗布した〇、二一グラムの猫いらずを意味するのか分明でなく、特に被告人がコトの死を認容した旨の供述部分は公式的な叙述に過ぎない。しかも特に昭和四一年八月一〇日付供述調書はこの点につき最もくわしい記載がなされているが、前記引用したところから明らかなごとく、一方で、「コトが死ぬかも知れないと思った」と記載しながら、他方で、「後々のことまでよく考えず仕返しの気持がいっぱいだった」との記載があり、また右供述調書からは被告人が猫いらずを握飯に塗布することを思いついたのが二階に上る前か後か、さらに被告人が右コトの死を未必的に表象したのが猫いらず塗布の前か後か、いずれも二様に受取れるのであって、その行間に大きな矛盾があるといわなければならない。

これらの点を仔細に吟味すると被告人が当公判廷で「私の口からはいわないが刑事があまりしつこくいうので私はやむを得ない、仕方がないといった」とのべているように、被告人の司法警察員に対する右各供述部分は「ねこいらずは一般に有毒物であってこれを人がたべれば死ぬことがあるかもしれない。従ってねこいらずを握飯に入れることは極めて危険な行為であって、殺意があったといわれてもやむを得ない」という、かつて捜査官の取調を受けたことすらなく、本件においてはじめて身柄を拘束された被告人としてはとうてい反ばく不可能な捜査官の理くつとそれにもとづく問に迎合してなされた疑が濃厚であり、拘束経験のない被告人が読み聞けの後にとくに訂正を申出なかったことは何ら右疑を払拭するものではない。かえって前記五で判断したところと総合して考えると、被告人の「余り量が多くないから死なないかも知れないと思った」「万一たべても腹を痛くして一緒に行った人に迷惑をかける程度かも知れないと思った」との供述の方は具体的であり真相に合致しているものと思われるのであって、右各供述調書をもって被告人が本件公訴事実にあるごとくコトに対する未必的殺意を有していたことの証拠とすることは早計であるといわなければならない。

(二)  被告人の検察官に対する供述調書について

昭和四一年八月二〇日付調書には、

「私はこの度以前は猫いらずを使ったことはありません。しかし猫いらずはねずみを殺す毒薬であり人が飲むか食べればその毒によって死ぬかも知れないことは判っていました。私としても何か特別の理由によって自殺でもしようという気持を持たない限り命に危険があるので飲んだり食べたりすることはできないことも判っていました。」

「私がおにぎりに猫いらずをぬった訳は後で詳しく申上げるようにコトの間の折合が非常に悪く何回も叱られたり口論をしたり等してコトをにくく思っていたからです。それでコトに対し嫌味をしてやろうと思ってついこのような悪いことをしてしまいました。私が猫いらずを一つのおにぎりにぬってコトに持って行かせようとしたのはコトに対し腹が立っていたからですが、猫いらずがぬられてあるおにぎりをコトが食べるだろうし、そうすればコトが猫いらずの毒によって死ぬかもしれないことは判っていました。しかし一面コトがそのおにぎりを食い、気持を悪くし一緒に行った人に迷惑をかけるのでないかということも考えました。しかしコトがそのおにぎりを食べれば死ぬかも知れないということも事実です。」

昭和四一年八月二一日付調書には、

「前回にも申上げた様に私は計画的にコトを殺そうという意思はありませんでしたからよろしくお願いします。又猫いらずをお握りの一つに塗りつけた時にもコトを殺そうというまでの気持はありませんでした。しかし猫いらずをお握りにつけてコトに持たしてやり、コトが食べれば死ぬかも知れないということは判っており、非常に危険なことをしたということは反省しております。右に申上げた様な理由からコトを憎んだり恨んでいたことは事実ですがあの様な大それたことをしたことは何んといっても申訳ありません。」

との各記載がある。

しかして検察官に対する各供述調書はおおむね司法警察員調書の記載の単なるくり返しであり、特に右に引用した部分は、司法警察員調書中の前記同趣旨の供述記載の要約の域を出ず、司法警察員調書につきすでに指摘したところと同様、自己の行為の非を悟り、捜査時の反省の情を吐露した被告人が、すでに司法警察員から度々発せられたと同趣旨の検察官の理づめの問に対して供述したもので、被告人が本件握飯にねこいらずを塗布した際の心境というよりも、むしろ捜査時に肯定した理屈を述べたのではないかとの疑を否定し去ることができない。

(三)  以上判断したとおり被告人の司法警察員及び検察官に対する各供述調書は、一見被告人が本件公訴事実に関し未必的殺意を肯定したかのごとき記載があるにも拘らず、これを仔細に検討し、他の証拠と総合して考えるときは、その真実性、信用性にはかなりの疑問があり、これをもって被告人の殺意を推認することはとうていできない。

七、しからば本件尊属殺人未遂の公訴事実については被告人の殺意を認めるにたりる証拠がなく、(また冒頭に認定した事実が他の犯罪を構成するとの主張、立証もないから)本件は結局犯罪の証明がないことに帰し、刑事訴訟法第三三六条に則り、被告人に対して無罪を言渡すべきである。

よって主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 藤本清 裁判官 谷口茂昭 裁判官西川道夫は填補のため署名押印することができない。裁判長裁判官 藤本清)

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